ちぇり~りうむ

日常4コマと鉄道の旅が好きな人の隠れ家です(*'w'*)

教えることと教わること

 
 ぼちぼち創作も3年生になろうかという処で、ちょっと自分や周りを見渡す余裕が出てきました。別の処で触れたかもしれませんが、私はイラストは10年程前からたまに描いては挫折を繰り返していました。なので本格的に頑張ってみようと思ったのは、イラスト 2015/1~、同人サークル発足 2015/11~になります。
 創作も日々勉強というスタンスで色々なものをインプットしながら自分なりにアウトプットしていますが、本業でも若い子に色々教えなきゃいけない立場になりつつあると、「勉強という側面で見ると他分野でも本質は同じなのでは?」と思ったので、書き留めてみます。
 

 ・教わることは批評を受けること

 私が新卒(以下、ひよっ子)だった頃、何ができるでもなく、ただ先輩のお尻を追いかけまわしていたわけですね。それでいて最初は、どうでもいい、クソつまらない事ばかり任されるわけですね。創作で言ったら、線画の範囲分け、枠線作成とかそんな内容です。余りにつまらなくて、「何でこんな雑用みたいなことばっかり」とか思うわけですよ。それを仕上げた後で「あそこは良かった、ここはダメだった」など色々言われて、それを繰り返すうちに「ダメだった」がなくなってくる。気付いたらもう1ランク高度な事を任される。更に行くと言われなくても何となく出来るようになっていたわけですね。
 最初はこれがどういう事なのか、イマイチ良く分かりませんでした。
 

・教えることは筋道を示すこと

 時は変わって自分が逆の立場に回ってきました。ひよっ子が目に涙を浮かべながらこちらを見ています。自分にとって一番楽な方法は何でしょうか。それは説明も何も無しに、自分で全てやってしまうことです。自分でやりながら説明するにせよ、やらせてみてフォローするにせよ、慣れた自分がやるのに比べたら、それ以上の時間を要します。しかしそれではひよっ子は育ちません。永遠に座って見ているだけしか能のない鶏が出来上がります。それはある意味職務放棄なので、「どこまでは出来そう」みたいな空気を読みながら、色々やらせてみます。
 教える子が居る時と居ない時で処理速度が大きく違っていて、教えるのがこんなに手間がかかるのかと、驚いたものです。逆に自分が今までどれだけ手間をかけてもらって、恩恵を受けていたのかも。
 自分が相手にコメントをする時は、必ず良い点と悪い点の両方を挙げるよう心掛けています。良い点だけだとその後の進歩がない、悪い点だけだと相手の自尊心を損ねているみたいで、お互い気持ちが良くないし、モチベーションにも響きます。そういう意味でも、「悪い点」に対するコメントの方が気を遣いますが、それを正すことこそが前に進むということなので、良い点以上に重要だと思っています。
 教えるといっても、一方的に教えるだけでなく、時には教わるという姿勢も大切かと思います。ひよっ子が思いもよらぬ良い方法を提案してくることがあります。それを適当に否定せず、一緒に考え、取り入れていくこともしています。
 ちょっぴり教える側に回ってみて、教え方と同時に、教わり方も上手くなりたいものだと思いました。
 
 

・創作は自分から教わり、自分に教えること

 絵にしろマンガにしろ、上達するというのは、マズいと思った点をどれだけ自分で挙げて直せるか、なのかなあと思いました。ただ、上述の「悪い点」を指摘してもらうのは、仲間内だとお互いの関係もあって面と向かって言ってくれる人も居ない、じゃあ自分で上手い人の絵を見て気付くしかないのかなあ、なんて。趣味でやる以上は、「上手くなることを放棄する」のも手とは思います。でも自分はそれじゃあ面白くないし、あっ!と言わせるようなお話も描きたいので、挫折しない程度に頑張りたいです。学生時代に創作ほぼ未経験の自分としては、漫研に所属してボロクソに批評されるというのも、ある意味で羨ましい経験に映ったりします。
 そんなわけで、私の作品に批評(=建設的意見、≠罵倒雑言)があれば、今後の参考にもさせていただきたいので、遠慮なく申し出ていただければと思います。