ちぇり~りうむ

日常4コマと鉄道の旅が好きな人の隠れ家です(*'w'*)

絵を描く理由

 元々私は絵は描けない(自他共に反吐が出るレベル)が、何故描こうと思ったのかを自分の今後のためにまとめておく。

 

発端

 2002年に魔法陣グルグルラグナロクオンライン(以下RO)にハマりファンサイト巡りをよくやっていた。自作のイラストを展示している人、お絵かき掲示板に投稿している人が神に見えた。凄いな自分もそういった事をしたいと思ったが、目の前の紙に描かれる絵を見てすぐに断念した。

 ホームページを持つことへの憧れもありHTMLを覚えた。ページは作れるが、何が出来るわけでもない自分には中身のコンテンツを作ることは出来なかった。ホームページはパソコンと同じツールであって、それ自体で何かできるものではなかったのだ。ホームページはしばらく放置した後、ROのプレイ日記を置いていたと思う。受験が近付き2004年頃にはRO、ホームページとも放置した。

再開

 2006年、大学に入り夏休みも暇なので新しい何かをはじめようと思い、また絵を描き始めた。結果は同じですぐに断念しようと思った。パソコンならレイヤーもUndo機能もあるし少しはマシだろうと思ってペンタブレットを買ってみたが、結果は同じだった。パソコンもペンタブレットツールであって絵を描くのは自分なのだから当然だ。今度は少しだけ頑張ったのか、そこで諦めずに、ひたすら好きなマンガとアニメのキャラの模写だけしていた。変なプライドがあって見せるのも恥ずかしくて死ぬと思いしばらく1人で勝手に悩んでいた。

 2008年、pixivというのが出来たという話を聞き登録した。自分の絵が人目に触れるというのは新鮮だったが、毎回アップロードボタンを押す時に恥ずかしくて死にそうになっていた。こんな自分の絵でも数人がコメントをくれたりお気に入り登録してくれてすごく嬉しかったのを覚えている。上手い人への「憧れ」を強く感じていた。この時の絵を描く動機は、上手くなって認められたいという「承認欲求」だったと思う。しかし絵も大して描いたことのない人がそんなにすぐに上手くなる訳もなく、そんな自分(と絵)に苛立ちばかりが募り楽しいとも思わなくなってしまった。
 大学が立て込んできて、こちらも3年程度で放置状態になった。それ以降はわざわざ自分で絵を描く理由もないし、上手い人の絵を見て過ごした方が良いと思っていた。それでも年賀状だけは毎年自作に拘り、自分で気になるアニメ作品の絵だった。

消費と生産

 大学までは幸運にも所謂オタク仲間に恵まれており、特に疎外感など感じなかったし、今で言うオタサーを仕切っていた時期もあった。この関係が永遠に続くと勘違いしていたのだろうか。卒業して新しい場所に出ると、話の合う人はそう居ないし、趣味の話を出来る相手は減ることはあっても増えることはなかった。イベント会場でもインターネット上でも、見ているだけ、受け取るだけでは新しい出会いはない。何をしていると言うことの無い人の所に行っても仕方がないし、自分もそのような人と友達にはならないだろう。オフ会等に行っても、○○が好きです以上に話すことがなければ、それっきりだ。

 何かしら生産しなければオタクとしてのアイデンティティを保てないと感じるようになった。それは評論でも鉄道写真でもブログでも何でもいいのだが、受け取って消費するだけでは、どこまでも一人だ。そういった行き詰まり、2年振りにたコミケに行きインスピレーションを受けたこともあり、最近になって絵を描くようになった。

絵を描くことは自己PR

 現在は、絵を描くことは、人との対話手段であり自己PRという認識でいる。

 以前は上手い下手よりも、絵を見せることに対する恥ずかしさへの対応に苦慮してきた。これの根本にあるのは、自己アピールが苦手ということに尽きる。発表と名の付くものはいつも逃げ腰、就活はあってないようなもので生きてきてしまったので、2008年当初はpixivの投稿ボタンが本当に重かったし、その後丸1日位は落ち着かなかった。人前に自分を出すと、良からぬことが起こるのではないかという恐怖と勝手に闘っていた。実際にはそんなことはないし、それをしなければ永遠に理解されないし輪も広がらない。それを克服する意味合いもあり現在は絵を描いている。

 「自分が好きなのはこうだ!」というのをアピールするのが目的で、ついでに表現の幅が広がれば良い程度の捉え方ができるようになった。ある意味開き直りではあるが、これがまた楽しいので以前より筆が進むようになった。